Indiebase編集部です。
ベッドに横たわる少女と、その傍らでうつむく女性。
少女は弱々しく顔を上げ、女性の手を握っています。
ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクが描いた『病める子』(1885〜1886年、オスロ国立美術館所蔵)。
一見すると、病気の少女を描いた静かな室内画です。
しかし、この絵にはムンクが生涯忘れられなかった、姉の死が刻まれています。
15歳で亡くなった姉ソフィー
1877年、ムンクの姉ソフィーは結核によって15歳で亡くなりました。
当時、ムンクは13歳。幼い頃には母親も同じ病気で失っていました。
家族の死は、少年の心に深い傷を残します。
それから約9年後、ムンクは姉の最期の記憶をもとに『病める子』を制作しました。
ベッドの少女はソフィーを思わせる存在で、傍らの女性は悲しみに沈んでいます。
描かれているのは病室の光景であると同時に、ムンク自身の消えることのない記憶なのです。
「未完成の絵」と批判された理由

この作品が発表されたとき、人々を驚かせたのは、その描き方でした。

少女の顔や髪はぼんやりと溶け合い、画面には激しくこすったような筆跡が残っています。
当時の絵画では、人物を滑らかに描き、細部まで仕上げることが重視されていました。
ところがムンクは、絵具を塗っては削り、何度も描き直しました。
その結果、作品は未完成のように見え、厳しい批判を受けたのです。
しかし、ムンクが描こうとしたのは、病室の正確な姿ではなく、悲しみに揺れる記憶そのものでした。
ムンクは同じ絵を何度も描いた
『病める子』は、ムンクにとって特別な作品でした。
彼はその後も同じ主題に繰り返し取り組み、油彩だけでも6点の作品を残しています。

なぜ、これほど何度も描いたのでしょうか。
ムンクは後年、『病める子』を自らの芸術にとって重要な転機だったと振り返っています。
それまでの写実的な表現から離れ、人間の不安や悲しみを直接描く道を切り開いたのです。
その試みは、やがて代表作『叫び』へとつながっていきます。
姉を失った悲しみは消えなかった。しかし、その記憶がムンクの芸術を生み出したのです。
(文:Indiebase編集部)
