Indiebase編集部です。
アメリカの画家ジョン・スローンが描いた『中華料理店』(1909年、ロチェスター大学メモリアル・アート・ギャラリー所蔵)。
ニューヨークのレストランで、赤い羽根飾りの帽子をかぶった女性が、足元の猫に食べ物を分け与えています。
向かいには麺を食べる男性が座り、その奥では別の客たちが様子を眺めています。
何気ない都会の一場面ですが、この絵には興味深い制作秘話があります。
スローンは、この光景を目撃してから約3週間後、記憶だけを頼りに描き始めたのです。
画家が日記に残した、ある夜の出来事
1909年2月23日、スローンはニューヨークのヘラルド・スクエア近くにある中華料理店を訪れました。
そこで目にしたのが、派手に着飾った女性が店の太った猫と戯れる光景でした。
その様子がよほど印象的だったのか、スローンは日記に、絵にする価値があると書き残しています。
しかし、実際に制作を始めたのは3月15日。
約3週間が経過していました。
しかも、店内で描いたスケッチではなく、頭の中に残っていた記憶をもとに制作したのです。
翌日には店がなくなるところだった
制作中、スローンは記憶を確かめるため、もう一度レストランを訪れました。
すると、驚くべきことがわかります。
その店は、翌日には別の場所へ移転する予定だったのです。
もし再訪が少し遅れていたら、絵の舞台となった店内をもう一度見ることはできなかったかもしれません。
スローンは、この偶然のタイミングについても日記に記録しています。
何気なく立ち寄った店で目撃した小さな出来事が、数週間後には消えてしまう街の記憶になろうとしていたのです。

名画の主役は、店の太った猫だった
スローンは、20世紀初頭のニューヨークの日常生活を描いた「アッシュカン・スクール」の画家として知られています。
彼が好んだのは、歴史上の英雄や神話の人物ではなく、街で暮らす普通の人々でした。
師ロバート・ヘンライから受けた、身近なものを描くという教えも、その制作姿勢に影響しています。
『中華料理店』でも、画家の関心を引いたのは豪華な料理でも、店の内装でもありません。
女性と猫の、ほんの短い交流でした。
当時のニューヨークでは移民文化が広がり、中華料理店も都市の外食風景の一部になりつつありました。
そんな街の変化を背景に、スローンは人々の飾らない姿を描き続けました。
女性が猫に食べ物を与えた、ただそれだけの出来事。
しかし、スローンがその瞬間を忘れなかったことで、100年以上前のニューヨークの夜が、今も絵の中に残されています。
(文:Indiebase編集部)