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フランスの画家フランソワ=オーギュスト・ビアールが描いた『北極熊との戦い』(1839年、ノルウェー・トロムソのノールノシュク美術館所蔵)。
氷山に囲まれた海で、小舟に乗った男たちが巨大なホッキョクグマに襲われています。
一人は槍を突き出し、別の男は恐怖に顔を引きつらせています。少年も必死に抵抗していますが、今にも船が転覆しそうです。
まるで実際の北極探検で起きた遭難事故を記録したような迫力があります。
ところが、この絵には驚くべき事実が隠されています。
ビアールは、この絵を描いた時点で、まだ北極を訪れたことがなかったのです。
北極を見たことがない画家の想像力
ビアールは1799年、フランスのリヨンに生まれました。
若い頃から旅を好み、ギリシャや中東などを訪れ、異国の風景や人々を描いていました。
しかし、1839年に『北極熊との戦い』を制作した時点では、北極の氷山も、野生のホッキョクグマも実際には見ていませんでした。
当時、ホッキョクグマについて知る機会は限られており、動物園などで得た知識をもとに描いた可能性が指摘されています。
つまり、この迫力ある死闘は、実際の目撃談ではなく、画家の想像力から生まれたものだったのです。
実はホッキョクグマの生態とも違う

もう一つ興味深いのは、ホッキョクグマの描かれ方です。
画面では複数のホッキョクグマが小舟を取り囲み、一斉に襲いかかっています。
しかし、野生のホッキョクグマは基本的に単独で生活する動物です。
複数の成獣が協力して人間を襲うような行動は、通常の生態とは異なります。
ビアールは動物の生態を正確に再現するよりも、未知の北極が持つ恐怖を強調したのでしょう。
背景にそびえる巨大な氷山も、現実の風景というより、幻想的な世界のように描かれています。
そして画家は、本当に北極へ向かった
興味深いことに、ビアールはこの作品を描いた1839年、実際に北方への探検に参加しています。
フランスの科学調査隊に同行し、ノルウェー北部やスヴァールバル諸島を訪れました。
そして帰国後には、実際に見た極地の風景をもとに『マグダレナ湾』などの大作を制作します。
1841年のパリのサロンでは、こうした北極を題材とした作品が注目を集めました。
つまり『北極熊との戦い』は、画家が本物の北極を知る前に生み出した、想像上の冒険だったのです。
まだ見ぬ北極を恐ろしい世界として描き、その後、自らその地へ向かったビアール。
この絵は、画家自身の冒険を予告するような一枚だったのかもしれません。
(文:Indiebase編集部)
