Indiebase編集部です。
青紫色の太い木の幹。その向こうには、白い花を咲かせた果樹が一面に広がっています。
遠くには赤い屋根の家々や教会の塔が見え、春を迎えた南フランスの街が広がっています。
フィンセント・ファン・ゴッホが描いた『アルルの見える花咲く果樹園』(1888年、ノイエ・ピナコテーク所蔵)。
この作品が生まれたのは、ゴッホがパリを離れ、南フランスのアルルに移住して間もない頃でした。
新しい土地で迎えた最初の春。ゴッホは花咲く果樹園に夢中になっていました。
ゴッホがアルルへ移住した理由
1888年2月、ゴッホは約2年間暮らしたパリを離れ、アルルへ向かいました。
都会の生活に疲れていたゴッホは、南フランスの明るい日差しと鮮やかな色彩に期待していました。
ところが、到着したアルルは雪に覆われていました。
やがて春が訪れると、果樹園ではアーモンドや桃、杏などの花が次々と咲き始めます。
ゴッホはその光景に強く惹かれ、短期間に数多くの果樹園の絵を制作しました。
花が散る前に描き終えようと、連日のように屋外で制作に取り組んでいます。
青い木の幹と白い花の対比

この作品では、手前の木々が大胆な青や紫で描かれています。
現実の木の色をそのまま再現するのではなく、周囲の緑や黄色、白い花との対比を重視した表現です。
枝や幹には力強い筆遣いが残り、果樹園の奥にはアルルの街並みが見えます。
ゴッホは日本の浮世絵にも強い関心を持っていました。


鮮やかな色彩や大胆な構図を取り入れながら、南フランスの風景を独自の方法で描こうとしていたのです。
花咲く果樹園に込めた期待
ゴッホにとって、春の果樹園は新しい生活の始まりを象徴する題材でもありました。
アルルでは、画家仲間が集まって制作する共同生活を実現したいと考えていました。
後にゴーギャンを迎えることになりますが、この時点ではまだ構想の段階です。
『アルルの見える花咲く果樹園』が描かれたのは、ゴッホがアルルでの生活に希望を抱いていた時期でした。
その年の暮れにはゴーギャンとの共同生活が破綻し、耳を切る事件が起こります。
しかし、この春の果樹園には、アルルでの新しい生活を楽しみにしていたゴッホの姿が残されています。
(文:Indiebase編集部)
