Indiebase編集部です。
胸元が大きく開いた白いドレスを着た女性が、二人の女性に挟まれて立っています。
中央の女性は眠そうな目をしており、どこか気だるげな表情です。華やかな衣装をまとっているものの、周囲に愛想を振りまく様子はありません。
フランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックが描いた『ムーラン・ルージュに入るラ・グーリュ』(1891〜1892年、ニューヨーク近代美術館所蔵)は、19世紀末のパリで絶大な人気を誇った踊り子を描いた作品です。
中央に立つ女性こそ、伝説的なダンサー「ラ・グーリュ」です。
パリで最も有名だった踊り子
ラ・グーリュの本名はルイーズ・ウェベール。1866年に生まれ、パリの歓楽街モンマルトルで踊り子として活躍しました。
彼女の得意技は、脚を高く蹴り上げる激しいダンス「カンカン」です。
踊りながら客の帽子を蹴り飛ばしたり、挑発的な振る舞いで観客を沸かせたりする姿が人気を集めました。
「ラ・グーリュ」という名前は「大食漢」や「食いしん坊」を意味するあだ名で、客の飲み物を勝手に飲んでしまうことから付けられたといわれています。
1889年に開業したムーラン・ルージュでは看板スターとなり、パリの夜を象徴する存在になりました。
ロートレックが描いた歓楽街の素顔
ロートレックは、モンマルトルのキャバレーやダンスホールに通い、踊り子や歌手、娼婦など、夜の街で生きる人々を数多く描きました。
ラ・グーリュもお気に入りのモデルの一人でした。
1891年には、彼女が踊る姿を描いたムーラン・ルージュの宣伝ポスターを制作し、大きな成功を収めています。

しかし、この作品のラ・グーリュは、舞台で華麗に踊る姿とは対照的です。

目元には疲れがにじみ、口元には笑顔もありません。
ロートレックは、華やかなスターの姿だけでなく、歓楽街で働く女性の飾らない表情も描き出しました。
人気絶頂から転落した晩年
ラ・グーリュは1895年、人気絶頂だったムーラン・ルージュを離れ、自らの見世物小屋を開きました。
しかし事業は成功せず、その後は移動遊園地や見世物興行などで生計を立てるようになります。
晩年は経済的に困窮し、かつての華やかな生活とは大きく異なる日々を送りました。
1929年、ラ・グーリュは62歳で亡くなります。
この作品が描かれたのは、彼女がパリの人気スターとして活躍していた時代です。
白いドレスをまとい、どこか退屈そうに立つラ・グーリュ。ロートレックは、観客を熱狂させた踊り子の、舞台とは異なる表情を残しました。
(文:Indiebase編集部)
