CULTURE

ドラクロワ『キオス島の虐殺』とは?戦う英雄が一人もいない、あまりに残酷な歴史画

Indiebase編集部です。

傷ついた男性、絶望した女性、力なく横たわる人々。

画面右側では、馬に乗った兵士が女性を連れ去ろうとしています。

フランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワが描いた『キオス島の虐殺』(1824年、ルーヴル美術館所蔵)。

縦4メートルを超える巨大な絵画ですが、そこには戦場を駆ける英雄も、勇敢に戦う兵士もいません。

描かれているのは、ただ死や奴隷となる運命を待つ人々なのです。

1822年、ギリシャの島で起きた悲劇

舞台は、エーゲ海に浮かぶギリシャのキオス島。

1821年に始まったギリシャ独立戦争のさなか、1822年にオスマン帝国軍による大規模な虐殺が発生しました。

多くの島民が殺害され、生き残った人々も奴隷として連れ去られました。

この事件はヨーロッパ各地に衝撃を与え、ギリシャ独立を支持する世論を高めました。

ドラクロワは事件からわずか2年後、その惨劇を巨大なキャンバスに描いたのです。

赤ん坊は、死んだ母親の乳房にすがっている

この絵で特に衝撃的なのが、画面右下の光景です。

地面に横たわる女性。その傍らでは、赤ん坊が母親の乳房にすがっています。

しかし、母親はすでに息絶えています。

赤ん坊は、自分が置かれた状況を理解することさえできません。

一方、右側の騎兵は女性を捕らえ、馬で連れ去ろうとしています。

戦争の残酷さを伝えるために、ドラクロワは英雄ではなく、犠牲者たちを主役にしたのです。

「絵画の虐殺」とまで批判された

1824年、作品がパリのサロンに出品されると、大きな議論を巻き起こしました。

当時の歴史画では、英雄的な人物や崇高な行為を描くことが重視されていました。

しかし、この作品には勝利も救済もありません。

さらに、激しい筆遣いや生々しい色彩も、それまでの伝統的な絵画とは異なっていました。

画家アントワーヌ=ジャン・グロは、この作品を「絵画の虐殺」と評したと伝えられています。

それでも作品はフランス政府に買い上げられ、ドラクロワはロマン主義を代表する画家として注目を集めました。

戦争を描くのに、英雄は必要ない。

『キオス島の虐殺』は、歴史画の常識を覆した衝撃作でした。

(文:Indiebase編集部)


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