Indiebase編集部です。
ロシアの画家イワン・クラムスコイが描いた『見知らぬ女』(1883年、別訳『忘れえぬ女』、モスクワのトレチャコフ美術館所蔵)。
冬のサンクトペテルブルクを背景に、豪華な毛皮と羽根飾りのついた帽子を身につけた女性が、馬車の上からこちらを見つめています。
その堂々とした姿から、現在ではロシア絵画を代表する女性像の一つとして知られています。
しかし、発表当時の評価はまったく異なるものでした。
この女性は「高級娼婦ではないか」と疑われ、作品そのものが不道徳だと批判されたのです。
なぜ高級娼婦だと疑われたのか?
1880年代のロシアでは、上流階級の女性には慎み深い振る舞いが求められていました。
ところが、この絵の女性は豪華な衣装をまとい、男性の同伴者もなく馬車に座っています。
さらに、当時の流行を取り入れた帽子や毛皮、手袋なども注目されました。
上流階級では、最新の流行を過度に追いかけることが、必ずしも上品とは見なされなかったのです。
そのため、一部の批評家は彼女を貴婦人ではなく、裕福な男性に囲われた女性ではないかと考えました。
しかし、実際に彼女がどのような身分だったのかはわかっていません。
モデルの正体は今も謎のまま

この絵には、もう一つ大きな謎があります。
クラムスコイは、モデルとなった女性の名前を明かさなかったのです。
そのため、さまざまな説が生まれました。
なかでも有名なのが、トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の主人公を描いたという説です。
また、画家の娘がモデルだったのではないかという説もあります。
しかし、いずれも決定的な証拠はなく、女性の正体は現在も特定されていません。
その謎めいた表情から、本作は「北のモナ・リザ」と呼ばれることもあります。
所有者たちを不幸が襲ったという噂
この絵には、不吉な逸話も残されています。
発表当時、美術収集家パーヴェル・トレチャコフは作品を購入しませんでした。
その後、絵は複数の所有者の手を渡ることになります。
やがて、所有者が酒に溺れた、妻が別の男性のもとへ去った、屋敷が火災に遭ったのに絵だけが焼け残った、といった話が語られるようになりました。
もっとも、こうした不幸と絵の間に因果関係があるわけではなく、逸話の詳細も確実に裏付けられているわけではありません。
発表当時は不道徳だと批判された女性が、今ではロシア美術を代表する存在となっています。
彼女は何者だったのか。
クラムスコイがその名前を明かさなかったことで、一人の女性の肖像画は、140年以上も謎を残す作品になったのです。
(文:Indiebase編集部)
