Indiebase編集部です。
トルコの画家オスマン・ハムディ・ベイが描いた『亀の調教師』(1906年、トルコ・イスタンブールのペラ美術館所蔵)。
青いタイルに囲まれた部屋で、赤い衣をまとった老人が、足元の亀たちを見つめています。
老人は笛を持ち、背中には太鼓のような楽器を背負っています。しかし、亀たちは思い思いの方向を向き、まったく言うことを聞く様子がありません。
そもそも、なぜ亀を調教しようとしているのでしょうか。
実はこの奇妙な絵には、当時のオスマン帝国に対する皮肉が込められているという説があります。
亀は、改革が進まない帝国の象徴だった?
20世紀初頭のオスマン帝国は、近代化を進めながらも、政治や社会に多くの問題を抱えていました。
『亀の調教師』は、そんな帝国の改革を風刺した作品として広く解釈されています。
動きの遅い亀たちは、なかなか変わろうとしない社会や人々。
そして、亀を調教しようとする老人は、改革を進めようとする人物を象徴しているというのです。
どれほど笛を吹いても、亀たちは思いどおりに動きません。
改革の難しさを、亀の調教という滑稽な場面に置き換えたと考えると、絵の印象が大きく変わります。
ただし、画家自身がこの意味を明言したわけではなく、あくまで有力な解釈の一つです。
実は画家自身が改革者だった
興味深いのは、オスマン・ハムディ・ベイ自身が、帝国の近代化に取り組んだ人物だったことです。
彼は画家であると同時に、考古学者であり、博物館の運営者でもありました。
イスタンブール考古学博物館の発展に尽力し、1882年には美術学校を創設しています。
さらに、文化財の国外流出を防ぐための法整備にも関わりました。
つまり、古い制度を変えようと苦労していた人物が、動かない亀を相手にする老人を描いたのです。
老人は画家自身を表しているのではないか、という説もあります。

亀の甲羅に蝋燭を乗せた奇妙な風習
この作品には、もう一つ興味深い背景があります。
18世紀のオスマン帝国では、夜の庭園で亀の甲羅に蝋燭を乗せ、動く灯りとして楽しんだという逸話が伝えられています。
『亀の調教師』の着想にも、こうした風習が関係しているのではないかと考えられています。
作品は1906年にパリのサロンで発表され、翌1907年には別のバージョンも制作されました。
そして2004年には、約350万ドルという当時のトルコ絵画として記録的な価格で取引されています。
老人は亀たちを動かすことができるのでしょうか。
それとも、どれだけ努力しても、亀は亀の歩幅でしか進まないのでしょうか。
一見するとユーモラスな光景ですが、その背後には、帝国を変えようとした人間の苦労が隠されているのかもしれません。
(文:Indiebase編集部)
