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ゴッホ「タラスコンへの道を行く画家」とは?戦火で失われ、写真だけが残る幻の名画

Indiebase編集部です。

麦畑を貫く道を、画材一式を背負った男が大股で歩いている。1888年、アルルでゴッホが描いた「タラスコンへの道を行く画家」です。画面の手前には、男の姿から伸びる黒い影が大きく描き込まれています。ただしこの絵、今はどの美術館にも掛かっていません。実物そのものが、この世に存在しないからです。

珍しい、全身の自画像

ゴッホがこの絵を描いた1888年夏、テオへの手紙には「箱や杖、キャンバスを抱えた自分を、晴れたタラスコンへの道でさっと描いた」という一文が残っています。タラスコンは、当時人気だったドーデの冒険小説『タルタラン・ド・タラスコン』の舞台としても知られる町で、ゴッホがこの土地に関心を持った背景には、この小説の存在があったとも言われています。顔をはっきり描かない全身の自画像というのは、ゴッホの作品の中でも珍しい形式です。苦悩する画家、というより、現場に向かう職人の後ろ姿。この絵から浮かび上がるのは、そちらの自己像です。

ナチスの没収リストから、なぜか漏れていた

1919年、この絵はドイツ・マクデブルクのカイザー・フリードリヒ美術館の所蔵になります。1930年代、ナチスは近代美術を「退廃芸術」と決めつけ、ゴッホ作品も多くが美術館から没収・売却の対象になりました。ところがこの絵はどういうわけか、その網をすり抜けてマクデブルクに残り続けます。戦争が激しくなると、美術館は英軍の空爆を避けるため、コレクションごと約30km離れたシュタスフルトの岩塩坑へと避難させました。

岩塩坑の火事で、写真だけが残った

1945年4月12日、アメリカ軍がこの岩塩坑にたどり着きます。坑内には、皮肉にもドイツ空軍のジェットエンジン工場が同居していました。到着から数時間後に火の手が上がり、4日間燃え続けます。この火災で坑に保管されていた美術品の多くが失われ、この絵もその一つとされました。原因が事故なのか意図的なものだったのか、はっきりした記録は今も残っていません。ゴッホは生涯で膨大な量の作品を残しましたが、「失われた」と正式に扱われているのはこの絵を含めわずか6点だけです。

リストには、今も載り続けている

面白いのは、この絵が公式には「破壊」ではなく「行方不明」として扱われている点です。戦時中に略奪・散逸した美術品を追う「モニュメンツ・メン」財団は、今もこの絵を最重要捜索対象リストに載せています。同じ岩塩坑に保管されていたマルティン・ルターの文書が、1996年になって忽然と見つかった例もあり、この絵もどこかに眠っているのではないか、という声はいまだに絶えません。今私たちに残されているのは、1930年代に撮られた1枚のカラー写真だけ。それでもこの構図は、後の画家キルヒナーが下敷きにしたり、フランシス・ベーコンが1950年代に独自の解釈で描き直したりと、実物を失った後も別の絵の中で生き続けています。

(文:Indiebase編集部)

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