ART

ユリィ「夜のポツダム広場」とは?日本で一躍話題になった名画を解説

Indiebase編集部です。

今日紹介するのは、ドイツ印象派の画家レッサー・ユリィが1920年代半ばに描いた「夜のポツダム広場」。雨に濡れた石畳、傘をさす人々のシルエット、奥に見える赤いネオン。舞台は今からおよそ100年前のベルリンです。

雨と夜を描き続けた画家

ユリィは生涯を通じて、雨や夜の光をモチーフにした作品を数多く残しています。ベルリンのカフェ・バウアーによく通い、電灯やガス灯の光が濡れた路面に反射する様子を繰り返し描きました。人付き合いが苦手だったようで、当時画壇の重鎮だったマックス・リーバーマンとは折り合いが悪く、長らく展覧会からも遠ざけられていたと伝わります。生前の評価は高くなく、生活も楽ではなかったそうです。

ヨーロッパで最も交通量の多かった広場

描かれたポツダム広場は、当時「ヨーロッパで最も交通量の多い広場」と呼ばれていました。1924年には、増え続ける馬車と路面電車を捌くため、ヨーロッパ初の信号塔がここに設置されています。周辺には大型娯楽施設ハウス・ヴァーターランドもあり、絵の奥に見える赤い文字はその看板の灯りかもしれません。ユリィはこの交通塔をモチーフにした作品を他にも複数残しています。

戦争と壁を経た広場のその後

第二次大戦で一帯は破壊され、1961年にベルリンの壁が広場の中央を通ると、この場所は数十年にわたって東西ベルリンの境界となる更地になりました。現在はソニーセンターが建ち、映画祭ベルリナーレの会場としても使われています。

日本ではほぼ無名だったが、展覧会で一躍話題に

この絵は2021年から翌年にかけて、東京の三菱一号館美術館、続いて大阪のあべのハルカス美術館で開催された「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」展に出品されました。展覧会の目玉はモネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガンといった大御所でしたが、撮影可能だった「夜のポツダム広場」がSNSに多数投稿され、印象派の著名作家を抑えて最も話題になった作品になったといいます。ミュージアムショップでも、モネの「睡蓮」に次ぐ売れ行きのグッズだったそうです。日本での知名度の低さから出品リストから外れかけたとも言われるユリィですが、結果的に展覧会の主役の一人になりました。

この絵は現在、イスラエル博物館(エルサレム)が所蔵しています。

(文:Indiebase編集部)

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