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ゴッホの「ひまわり」は日本にもあった|空襲で焼失した幻の「芦屋のひまわり」とは

Indiebase編集部です。

本日から、ゲームの合間にふと立ち止まって眺めたくなる美術作品を(ほぼ)毎日1点ずつ紹介していきます。第一回に選んだのは、ゴッホの「ひまわり」。といっても、ロンドンや東京で見られるあの「ひまわり」ではありません。かつて日本にあり、今はもう存在しない一枚、通称「芦屋のひまわり」です。


7枚のうち、1枚だけ行方が違う

ゴッホが南仏アルルで描いた花瓶のひまわりの連作は、全部で7枚。ロンドン・ナショナル・ギャラリー、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館、東京のSOMPO美術館など、現存する6枚は今も世界各地の美術館で見られます。

SOMPO美術館収蔵の「ひまわり」

残る1枚だけ、行き着く先が違いました。舞台は兵庫県芦屋市です。


白樺派が私財を投じてまで欲しがった一枚

日本に渡ってきたのは1920年(大正9年)。買い手は関西の実業家・山本顧彌太でした。武者小路実篤や志賀直哉ら文学グループ「白樺派」が構想した「白樺美術館」のため、当時の金額で2万円、今の価値でおよそ2億円という私費を投じての購入です。

ゴッホの名前がまだごく一部の文化人にしか知られていない時代に、これだけの金額を出す。西洋美術への憧れがどれほど強かったか、この一件だけでも伝わってきます。

結局、白樺美術館の設立は実現しませんでした。行き場を失った「ひまわり」は、そのまま芦屋の山本邸の応接間へ。以来「芦屋のひまわり」として、地元の人々に親しまれることになります。


1945年8月、応接間ごと焼けた

1945年8月5日深夜から6日未明。約130機のB29が芦屋に焼夷弾を落とした阪神大空襲で、山本邸は全焼しました。壁に固定されていた「ひまわり」は避難させることもできず、応接間ごと炎に飲まれます。広島に原爆が投下された、まさに同じ日の出来事でした。

購入からわずか25年。戦争の足音が近づく中、山本は絵を安全な場所へ移す方法を探っていたと伝わっていますが、間に合いませんでした。


青い背景に浮かぶ6輪

芦屋の「ひまわり」

「芦屋のひまわり」が特別なのは、来歴だけではありません。現存する「ひまわり」の多くが黄色系の背景なのに対し、この絵は深い青を背景にしていました。ゴッホが好んだ補色の対比、黄と青のぶつかり合いが、連作の中でもっとも鮮烈に出ていた一枚だったと言われています。

色を伝える資料はほとんど残っていません。雑誌『白樺』の口絵と、白樺社が発行した画集。手がかりはほぼこの2つだけです。

それでも徳島県の大塚国際美術館には、監修者と資料をもとに原寸大で再現された陶板があります。実物はもう見られませんが、面影ならそこで確かめられます。

ゴッホ作 幻の「ヒマワリ」(芦屋のひまわり)の展示について:
https://o-museum.or.jp/pages/84


もし今も残っていたら

ゴッホの絵は、今の市場では文字通り天文学的な値がつきます。アルル時代の《果樹園と糸杉》(1888年)は、2022年にクリスティーズ・ニューヨークで1億1720万ドル、日本円で約186億円で落札されました。

「ひまわり」はゴッホを代表する連作で、現存する6枚はすべて美術館所蔵、市場に出ることはまずありません。この希少性を考えると、「芦屋のひまわり」がもし焼け残っていたら、数百億円、条件次第では絵画の史上最高落札額を塗り替えていてもおかしくない。そう言われるのも頷けます。1枚の絵が失われるということは、ときに、それくらいのスケールの話になります。


ゲームなら、消えたデータもいつか誰かが復元してくれる。でも絵画は、一度燃えたらそれきりです。それでも資料をかき集めて陶板に焼き付け、語り継ごうとする人がいる。その執念こそが、この絵が持っていた力の証明なのかもしれません。

(文:Indiebase編集部)

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