Indiebase編集部です。
灰色の髪を振り乱し、鋭い眼差しでこちらを見つめる一人の男性。
赤いスカーフを巻き、左手には楽譜、右手には鉛筆を持っています。眉間には深いしわが刻まれ、何かに怒っているようにも見えます。
ドイツの画家ヨーゼフ・カール・シュティーラーが描いた『ミサ・ソレムニスを手にするルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン』(1820年、ボン・ベートーヴェン・ハウス所蔵)は、作曲家ベートーヴェンの最も有名な肖像画の一つです。
しかし、この険しい表情には、意外な制作秘話が残されています。
じっと座ることが苦手だったベートーヴェン
この肖像画は、ベートーヴェンと親交のあったフランツ・ブレンターノと妻アントーニエの依頼によって制作されました。
当時49歳だったベートーヴェンは、すでに聴覚をほとんど失いながらも、作曲を続けていました。
シュティーラーは肖像画を完成させるため、ベートーヴェンに4回もモデルを務めてもらいました。
これは当時としては珍しい回数でした。ベートーヴェンはじっと座っているのが苦手だったと伝えられています。
手にしている楽譜の正体

ベートーヴェンが持っているのは、荘厳ミサ曲『ミサ・ソレムニス』の楽譜です。
表紙には「Missa solemnis」、内側には「Credo(クレド)」という文字が見えます。
『ミサ・ソレムニス』は、ベートーヴェン晩年の代表作の一つで、1823年に完成しました。
この肖像画が描かれた1820年には、まだ作曲の途中だったのです。
シュティーラーは、単なる人物の肖像ではなく、作曲に取り組む天才の姿を描こうとしました。
険しい表情の理由とは?
この肖像画では、ベートーヴェンが険しい顔をしています。
制作当時、彼は甥カールの親権をめぐる問題に悩まされていました。
1820年3月のモデルを務めた際にも、その問題について筆談帳に書き残しています。
険しい表情には、こうした私生活の苦悩が影響した可能性も指摘されています。
また、背景には木々が描かれています。自然を愛し、交響曲第6番『田園』を作曲したベートーヴェンらしい演出です。
この肖像画は1820年の完成後、繰り返し複製され、世界中に広まりました。
乱れた髪、鋭い眼差し、険しい表情。現在、多くの人が思い浮かべるベートーヴェンの姿は、この一枚によって形作られたのです。
(文:Indiebase編集部)
