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紹介するのは、ポーランドの画家ヤン・マテイコが1862年、24歳のときに描いた「スタンチク」。舞踏会の喧騒から離れた薄暗い部屋で、赤い衣装の道化師がひとり、椅子に沈み込むように座っています。
道化師なのに、道化師らしくない
描かれているスタンチクは実在の人物で、16世紀、ポーランド王ジグムント1世に仕えた宮廷道化師です。ただし彼は、ただ笑いを取るだけの道化師ではありませんでした。当時の政治情勢を鋭く風刺し、王侯貴族に対しても臆せず物申す知恵者として知られた人物です。絵の中でも、彼の象徴である笏(先端に自分自身の似顔がついた道化師のスティック)は手から離れ、床に転がったまま放置されています。
舞踏会の裏で届いた、悪い知らせ
この絵の正式な題名は「王妃ボナの宮廷での舞踏会の最中、スモレンスク陥落を前にしたスタンチク」。1514年、モスクワ大公国との戦いでポーランド側が要衝スモレンスクを失ったという知らせが、舞踏会の最中に届いた場面を描いています。テーブルの上には、ハンカチの下に半分隠れた手紙が見えます。これがスモレンスク陥落を告げる知らせでしょう。隣の広間では、宮廷の人々が何も知らずに踊り続けています。スタンチクだけが、この国難の重さに気づいている。そういう構図です。

描かれた顔は、画家自身だった
実はこの絵のスタンチク、顔立ちはマテイコ自身をモデルにしていると言われています。制作された1862年前後のポーランドは、ロシア・プロイセン・オーストリアによる分割統治下にあり、翌年には対ロシア蜂起(一月蜂起)が起きて失敗に終わります。300年前の史実を借りながら、実際には自分が生きていた時代のポーランドの危機と、それに気づかない周囲への苛立ちを重ねて描いた作品だと考えられています。

略奪され、戻ってきた絵
この絵は1924年にワルシャワ国立美術館の所蔵となりましたが、第二次大戦中にナチス・ドイツによって持ち去られ、その後ソ連の手に渡ります。ポーランドに返還されたのは1956年のことでした。絵の中で描かれた「気づかれない危機」というテーマそのものを、絵自体がその後の歴史でなぞることになったとも言えます。
(文:Indiebase編集部)
