Indiebase編集部です。
パリのカフェで、男女が並んで座っています。
女性は目を伏せ、虚ろな表情で何もない場所を見つめています。目の前には淡い緑色の酒が置かれていますが、グラスに手を伸ばす様子はありません。
隣の男性はパイプをくわえ、女性とは反対の方向を向いています。二人はすぐ近くに座っているのに、会話を交わしている様子もありません。

フランスの画家エドガー・ドガが描いた『カフェにて(アブサン)』(1875〜1876年、オルセー美術館所蔵)は、19世紀のパリで流行した酒「アブサン」と、都会に生きる人々の孤独を描いた作品です。
緑色の酒「アブサン」とは?
女性の前に置かれているのは、アブサンと呼ばれるアルコール度数の高い蒸留酒です。
ニガヨモギなどの薬草を使った酒で、19世紀後半のフランスでは芸術家や労働者を中心に広く飲まれていました。

その独特の色から「緑の妖精」とも呼ばれ、詩人や画家たちにも親しまれていました。
しかし、当時はアブサンの飲み過ぎによる健康被害やアルコール依存が社会問題となり、危険な酒というイメージも広がっていました。
ドガが描いた女性の虚ろな表情は、こうした飲酒問題を連想させるものとして受け止められました。
モデルは実在する二人の芸術家
絵に登場する男女には、実在の人物がモデルとして使われています。
女性は女優のエレン・アンドレ、男性は画家で版画家のマルスラン・デブータンです。


二人はドガの知人であり、実際にアルコール依存に苦しんでいた人物として描かれたわけではありません。
舞台となったのは、パリのピガール広場にあったカフェ「ヌーヴェル・アテーヌ」です。
ここは当時、ドガやマネなどの芸術家たちが集まる場所として知られていました。
ドガは、華やかな社交の場であるはずのカフェを、会話も笑顔もない孤独な空間として描きました。
ロンドンで物議を醸した問題作

この作品は1876年の第2回印象派展に出品されました。
その後、1893年にロンドンで展示された際には、退廃的な男女の姿がイギリスの批評家たちから強い批判を受けました。
特に女性の表情や酒の存在が、道徳的に好ましくないものとして受け止められたのです。
しかし、ドガは単に飲酒の害を訴えようとしたわけではありません。
19世紀後半のパリでは、都市化が進み、多くの人々がカフェや劇場に集まるようになっていました。
その一方で、大勢の人に囲まれながらも孤独を感じる都市生活の一面がありました。
『カフェにて(アブサン)』では、隣同士に座る男女が互いに目を合わせず、それぞれ別の方向を見つめています。
二人の間にあるわずかな距離が、都会の孤独を強く印象づけています。
(文:Indiebase編集部)
