Indiebase編集部です。
荒れ果てた野原に置かれた、一つの棺。
その前に立つ黒衣の女性は、周囲の人々に目もくれず、棺を見つめています。
女性の名は、カスティーリャ女王フアナ。
スペインの画家フランシスコ・プラディーリャが描いた『狂女フアナ』(1877年、スペイン・マドリードのプラド美術館所蔵)です。
なぜ女王は、亡き夫の棺とともに荒野を旅していたのでしょうか。
愛する夫の遺体と旅を続けた女王
1506年、フアナの夫フェリペ1世が25歳の若さで急死しました。
夫の死に深い悲しみを抱いたフアナは、その棺を伴ってカスティーリャ各地を移動します。
伝説によれば、彼女は夫の遺体を何度も確認し、ほかの女性が棺に近づくことさえ嫌がったといいます。
絵の中では、棺の周囲に聖職者や貴族たちが集まっています。
しかし、フアナだけは黒衣をまとい、孤独に立ち尽くしています。
足元には焚き火が燃え、冷たい風が彼女の衣服を揺らしています。
プラディーリャは、女王の悲しみと異様な執着を、劇的な光景として描き出しました。
「狂女」という呼び名は本当だったのか?
フアナは歴史上、「狂女フアナ」と呼ばれてきました。
しかし、彼女が本当に精神を病んでいたのかについては、現在も議論があります。
当時のフアナは、カスティーリャ王位を継承する立場にありました。
その一方で、夫フェリペ、父フェルナンド2世、そして息子カルロス1世らが、彼女の統治権をめぐって争いました。
フアナは1509年からトルデシリャスの宮殿に事実上幽閉され、1555年に亡くなるまで自由を制限されました。
「狂気」という評価には、彼女を政治の舞台から遠ざけるための思惑が影響した可能性も指摘されています。
悲劇の女王か、政治に翻弄された女性か

プラディーリャがこの絵を描いたのは、フアナの死から300年以上が過ぎた1877年。
歴史上の事件を劇的に再現する「歴史画」が人気を集めていた時代です。
この作品は1878年のパリ万国博覧会でも高く評価されました。
しかし、絵に描かれた場面の細部が、すべて史実として確認されているわけではありません。
亡き夫を忘れられない女性だったのか。それとも、権力争いの中で「狂女」にされた女王だったのか。
この絵が描くのは、一人の女性の悲しみであると同時に、歴史が作り上げた「狂女フアナ」という人物像なのかもしれません。
(文:Indiebase編集部)
