Indiebase編集部です。
《ひまわり》《星月夜》《夜のカフェテラス》。
フィンセント・ファン・ゴッホには、誰でも一度は見たことがあるような作品がいくつもあります。
ただ、彼の絵は最初からあの鮮烈な色彩だったわけではありません。
初期には農民を暗い色調で描き、パリでは印象派や浮世絵に出会い、アルルでは南仏の強い光に魅了され、サン=レミでは自然そのものがうねるような独自の絵画へと変わっていきました。
今回は、ゴッホを知るうえで見ておきたい30作品を、できるだけ年代順に紹介します。
1. 《ジャガイモを食べる人々》(1885年)

ゴッホ初期を代表する作品です。
薄暗い部屋の中で、農民一家が食卓を囲んでいます。後年の黄色や青を多用した作品とは違い、画面全体は褐色や灰色が中心です。
ゴッホが描こうとしたのは、理想化された農民ではなく、土に触れ、自分たちの手で得たものを食べて生きる人々の生活でした。
若い時代のゴッホが何を描こうとしていたのかを知るなら、まず見ておきたい一枚です。
2. 《開かれた聖書、消えた蝋燭、小説のある静物》(1885年)

大きな聖書、その横に置かれたエミール・ゾラの小説、そして火の消えた蝋燭。
ゴッホの父は牧師で、本人もかつて伝道師を目指していました。
しかし次第に宗教から距離を置き、文学や芸術へ向かっていきます。
父の死と同じ年に描かれたこの静物画には、そんなゴッホの人生の転換点が重なって見えます。
3. 《煙草をくわえた骸骨》(1885〜86年)

煙草をくわえた骸骨。
ゴッホ作品の中でもかなり異色です。
アントウェルペンで美術学校に通っていた時期に描かれたもので、骨格研究の延長にある作品と考えられています。
「死」や「狂気」と結びつけて読むより、少し皮肉の効いたユーモアとして見た方が自然です。
4. 《グレーのフェルト帽をかぶった自画像》(1887年)

パリに出たゴッホの絵は、大きく変わります。
暗かった色彩が明るくなり、顔には赤や青、緑、黄色の細かな筆触が置かれています。
印象派や新印象派の影響を吸収しながら、自分の色を探していた時期です。
初期作品と並べると、その変化がかなりよく分かります。
5. 《タンギー爺さんの肖像》(1887年)

モデルは画材商ジュリアン・タンギー。
注目したいのは、彼の背後です。
壁いっぱいに浮世絵が描かれています。
19世紀後半のパリでは日本美術への関心が高まり、ゴッホも浮世絵を集めていました。
構図や輪郭線、平面的な色づかいなど、浮世絵から受けた影響はその後の作品にも長く残ります。
6. 《花魁(渓斎英泉による)》(1887年)

日本への憧れがかなりストレートに出た作品です。
女性像は渓斎英泉の浮世絵をもとにし、その周囲には竹や蓮、鶴、蛙などが描かれています。
もちろん、日本を正確に再現した絵ではありません。
むしろ、遠い日本に対してゴッホ自身が思い描いたイメージを、一枚の絵にまとめた作品です。
7. 《アルルの跳ね橋》(1888年)

1888年、ゴッホはパリを離れて南フランスのアルルへ移ります。
そこで出会ったのが、強烈な太陽と青い空でした。
黄色い土、青い水面、明るい空。
パリ時代までとはまた違う、開放的な色彩が一気に広がります。
8. 《ラ・クローの収穫》(1888年)

アルル郊外のラ・クロー平野で行われる収穫を描いた作品です。
黄金色の麦畑、青い荷車、遠くの農家。
農民を描くというテーマ自体は初期から変わっていませんが、色はまるで別人のように明るくなっています。
《ジャガイモを食べる人々》と見比べると、ゴッホが数年でどれだけ変わったかがよく分かります。
9. 《種まく人》(1888年)

大きな太陽を背に、一人の農夫が種をまいています。
ゴッホが敬愛したミレーの「種まく人」を、自分の色彩で描き直した作品です。
黄色い空、紫の大地、青い人物。
現実をそのまま写すというより、色そのものに感情を持たせる方向へ進んでいったことが見えてきます。
10. 《タラスコンへの道を行く画家》(1888年)

大きな荷物を背負い、炎天下の道を歩く画家。
描かれているのはゴッホ自身と考えられています。
地面に落ちた濃い影も印象的です。
原画は第二次世界大戦中に失われましたが、複製写真などによって現在もその姿を知ることができます。
11. 《夜のカフェテラス》(1888年)

ゴッホを代表する夜景のひとつです。
深い青の空と、カフェからこぼれる黄色い光。
夜景なのに黒に頼らず、青と黄色の対比で夜を描いているのが特徴です。
アルル時代の色彩感覚が最も分かりやすく表れた作品のひとつでしょう。
12. 《夜のカフェ》(1888年)

《夜のカフェテラス》とはかなり雰囲気が違います。
赤い壁、緑の天井、黄色い床。
そこに疲れたような人々が座っています。
ゴッホはこの作品で、現実の色をそのまま写すのではなく、赤と緑の強い対比によって不安や荒んだ空気まで描こうとしました。
13. 《ローヌ川の星月夜》(1888年)

夜のローヌ川に街の灯りが反射し、その上には星々が輝いています。
黄色い光と深い青。
翌年の《星月夜》ほど幻想的ではありませんが、夜を描くことへの関心が強くなっているのが分かります。
14. 《黄色い家》(1888年)

ゴッホがアルルで借りた家です。
彼はここを、芸術家たちが共同生活をしながら制作する場所にしようと考えていました。
その構想に応じてやって来たのがポール・ゴーギャンです。
黄色い家は、ゴッホにとって希望の象徴であり、その後の破綻の舞台でもありました。
15. 《アルルの寝室》(1888年)

黄色い家の自室を描いた作品です。
ベッド、椅子、テーブル。
室内は単純ですが、遠近感は少し歪み、色も現実より強く感じられます。
ゴッホはこの部屋を「休息」を感じさせる場所として描こうとしました。
16. 《ひまわり》(1888年)

ゴッホの代名詞ともいえる作品です。
黄色い背景、黄色い花瓶、黄色い花。
同じ黄色でも、花びら、種、茎、花瓶で微妙に変化があります。
ゴッホはアルルにやって来るゴーギャンを迎えるため、黄色い家をひまわりの絵で飾ろうとしました。
そのため《ひまわり》は、友情や共同生活への期待とも深く結びついています。
17. 《アルルの女(ジヌー夫人)》(1888年)

モデルは、ゴッホやゴーギャンが通ったカフェを営んでいたマリー・ジヌーです。
テーブルに肘をつき、静かにこちらを見ています。
アルル時代のゴッホは風景だけでなく、身近な人々も数多く描きました。
その人らしさを、ポーズや色で表そうとしていた時期です。
18. 《赤い葡萄畑》(1888年)

夕暮れの葡萄畑で働く人々を描いた作品です。
畑は赤や橙色に染まり、空と水面も強い色で輝いています。
現実の風景そのままというより、夕暮れの印象を色で増幅したような作品です。
ゴッホの生前に売れた作品としてもよく知られています。
19. 《包帯をした耳の自画像》(1889年)

1888年末、ゴーギャンとの共同生活は破綻します。
精神的に追い詰められたゴッホは耳を傷つけ、その後、包帯を巻いた姿を自画像に残しました。
背景には浮世絵も見えます。
有名な事件ばかりに目が行きますが、深刻な出来事のあとも再び絵筆を持ったという点も忘れたくない作品です。
20. 《ルーラン夫人「子守女」》(1889年)

郵便配達人ジョゼフ・ルーランの妻、オーギュスティーヌを描いた作品です。
手には揺りかごにつながる紐が握られています。
ゴッホはこの「子守女」という主題を何度も描きました。
人物の穏やかさと、背景の鮮やかな装飾が印象に残ります。
21. 《アイリス》(1889年)

1889年、ゴッホは自らサン=レミの療養院に入ります。
その直後に、庭のアイリスを描いた作品です。
青紫色の花の中に、一輪だけ白い花が混じっています。
療養生活の中でも、ゴッホは身近な植物や風景を描き続けました。
22. 《星月夜》(1889年)

ゴッホ作品の中でも、とりわけ有名な一枚です。
渦巻く夜空、巨大な糸杉、静かな村。
実際に見た景色をそのまま描いたものではなく、記憶や想像も入り混じっています。
自然を描いているのに、空も木も山もすべて動いているように見える。
ゴッホらしい筆触が最も強く出た作品のひとつです。
23. 《糸杉》(1889年)

サン=レミ時代、ゴッホは糸杉を何度も描きました。
空へ伸びる黒緑色の木は、まるで炎のようです。
実際の木を描きながら、形そのものが感情を持っているように見えるのが面白いところです。
24. 《オリーブ園》(1889年)

サン=レミで繰り返し描いたもうひとつの主題がオリーブの木です。
幹も枝も地面も、すべて同じリズムで波打っているように見えます。
晩年のゴッホは、自然を一つひとつの物として描くより、全体がつながって動いているように描くようになります。
25. 《サン=レミの療養院の庭》(1889年)

療養院の庭は、ゴッホにとって身近な制作場所でした。
木々は曲がり、絡み、画面全体がざわついています。
病状によって描けない時期もありましたが、療養院生活の間も数多くの作品を残しています。
「療養院に入って何も描けなくなった」というイメージとはかなり違います。
26. 《花咲くアーモンドの木の枝》(1890年)

青い空に、白いアーモンドの花が広がります。
《星月夜》とは対照的に、とても明るく穏やかな作品です。
弟テオと妻ヨーの間に子どもが生まれたことを祝って描かれました。
枝を大胆に切り取る構図には、浮世絵の影響も感じられます。
27. 《医師ガシェの肖像》(1890年)

1890年、ゴッホはオーヴェール=シュル=オワーズへ移ります。
そこで彼を診察したのがポール・ガシェでした。
頬杖をつき、どこか疲れたような表情を浮かべています。
患者と医師というより、互いに少し似た孤独を抱えた二人だったようにも見える肖像です。
28. 《オーヴェールの教会》(1890年)

オーヴェールにある教会を描いた作品です。
建物は波打つように歪み、空は深い青。
実在する建物なのに、どこか現実からずれて見えます。
最晩年のゴッホが、風景をどのように見ていたのかが伝わってくる一枚です。
29. 《ドービニーの庭》(1890年)

ゴッホが敬愛していた画家シャルル=フランソワ・ドービニーの庭を描いた作品です。
横長の画面いっぱいに緑が広がり、花や家が静かに配置されています。
最晩年の作品というと暗い意味を探したくなりますが、この絵にはむしろ穏やかさがあります。
30. 《カラスのいる麦畑》(1890年)

暗い青空の下に、黄金色の麦畑。
その上を黒いカラスが飛んでいます。
長いあいだ「ゴッホ最後の作品」として語られてきましたが、現在では絶筆と断定することはできません。
死の予告として見るより、オーヴェールで描かれた一連の風景画のひとつとして見る方が自然です。
おまけ1:ジョン・ピーター・ラッセル《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》(1886年)

最後に、ゴッホ自身が描いたものではない作品も紹介します。
オーストラリア出身の画家ジョン・ピーター・ラッセルが描いたゴッホの肖像です。
私たちはゴッホの顔を自画像からよく知っています。
でも、それはあくまで「ゴッホが見た自分」です。
ラッセルの絵にいるのは、友人の目から見たゴッホ。
まだ《ひまわり》も《星月夜》も描かれていない時代の、一人の若い画家の姿です。
おまけ2:ゴーギャン《ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ》(1888年)

もう一枚、ゴッホ本人が描かれた作品があります。
作者は、アルルで共同生活を送ったポール・ゴーギャン。
画面の中でゴッホは、屋外に座ってひまわりを描いています。
自画像では見られない、制作中のゴッホの姿を別の画家が描いた珍しい作品です。
ゴーギャンとゴッホの関係は、友情だけで語れるものではありません。互いの才能を認めながら、性格も制作姿勢も大きく違い、共同生活はわずか数週間で破綻しました。
それでも、この絵には二人がまだ同じ場所で絵を描いていた時間が残っています。
《ひまわり》を見たあとにこの作品を見ると、少し違った印象を受けるはずです。
わずか10年で、ここまで変わった
《ジャガイモを食べる人々》から《星月夜》までを並べると、同じ画家とは思えないほど絵が変わっています。
農民画、印象派、浮世絵、南フランスの光、サン=レミの自然。
いろいろなものを吸収しながら、最後には誰にも似ていない絵になっていきました。
ゴッホというと「狂気の天才」という言葉で語られがちです。
でも30作品を順番に見ていくと、それ以上に、ひたすら見て、試して、変わり続けた画家だったことがよく分かります。