Indiebase編集部です。
5人の命を救うために、1人を犠牲にしてもよいのでしょうか。
暴走するトロッコが線路上の5人に迫っています。あなたがレバーを切り替えれば、トロッコは別の線路へ進み、5人は助かります。しかし、その先には1人の作業員が立っています。
何もしなければ5人が死亡し、レバーを引けば1人が死亡する。
この有名な思考実験は「トロッコ問題」と呼ばれ、倫理学における重要な問いを投げかけています。
そして、この問題と深く関係する思想が「功利主義」です。
功利主義は、行為の結果として生まれる幸福や苦痛に注目し、できるだけ多くの幸福を実現することを重視します。
今回は、功利主義の意味や「最大多数の最大幸福」という考え方、ベンサムとミルの違い、トロッコ問題、そして功利主義が抱える問題点について解説します。
功利主義とは?「最大多数の最大幸福」の意味
功利主義(Utilitarianism)とは、ある行為が正しいかどうかを、その行為がもたらす幸福や苦痛などの結果によって判断する倫理思想です。
基本的な考え方は、できるだけ多くの幸福を生み出し、苦痛を減らすことにあります。
この思想を象徴する言葉が「最大多数の最大幸福」です。
例えば、ある政策によって100人が利益を得る一方、10人が不利益を受けるとします。
功利主義では、利益を受ける人数だけでなく、それぞれの人が得る幸福や被る苦痛の大きさも考慮し、全体として望ましい結果になるかを検討します。
重要なのは、単純な多数決とは異なることです。
100人が少しだけ得をしても、10人が耐え難い苦痛を受けるのであれば、その政策が正しいとは限りません。
功利主義が目指すのは、人数の多さそのものではなく、社会全体の幸福をできるだけ大きくすることです。
功利主義を提唱したベンサム
近代功利主義を体系化した人物が、イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサム(1748〜1832年)です。

ベンサムは、人間の行動が快楽と苦痛に大きく左右されると考えました。
そして、法律や政治制度も、人々の幸福を増やし、苦痛を減らすように設計されるべきだと主張しました。
ベンサムの功利主義では、幸福は基本的に快楽と苦痛の観点から評価されます。
彼は、快楽や苦痛の強さ、持続時間、確実性などを考慮して、その価値を比較しようとしました。
これは一般に「快楽計算」と呼ばれています。
例えば、ある娯楽が多くの人に長時間の楽しみを与えるなら、その娯楽には大きな価値があると考えられます。
一方、短い快楽のために多くの人が長期間苦しむのであれば、その行為の評価は低くなります。
ベンサムは、こうした考え方を刑罰制度や法律の改革にも応用しようとしました。
ミルの功利主義|幸福には質の違いがある
ベンサムの思想を発展させたのが、イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル(1806〜1873年)です。

ミルも幸福を重視しましたが、快楽には量だけでなく、質の違いがあると考えました。
例えば、おいしい食事を楽しむことと、文学や哲学を深く理解することは、どちらも幸福につながります。
しかし、ミルは、知性や想像力などの高度な能力を働かせる喜びには、特別な価値があると考えました。
この考え方を象徴するのが、次の有名な言葉です。
「満足した豚であるより、不満足な人間である方がよい」
ミルは、単に気持ちよさを最大化するだけでは、人間の幸福を十分に説明できないと考えたのです。
ベンサムが快楽の量を重視したのに対し、ミルは快楽の質にも注目した点が、両者の大きな違いです。
トロッコ問題とは?5人を救うために1人を犠牲にするべきか
功利主義を考えるうえで、特によく知られているのが「トロッコ問題」です。
この問題は、哲学者フィリッパ・フットが1967年に提示した思考実験を起点とし、後にジュディス・ジャーヴィス・トムソンらによって発展しました。
レバーを引いて5人を救うべきか?
暴走するトロッコが線路上の5人に向かって走っています。
あなたの目の前には、進路を切り替えるレバーがあります。
レバーを引けばトロッコは別の線路に進みますが、その先には1人がいます。
選択肢は二つです。
- 何もしない:5人が死亡する
- レバーを引く:1人が死亡し、5人が助かる
単純な功利主義的計算では、5人の命を救う方が、失われる命の数を少なくできます。
そのため、ほかの条件が同じであれば、レバーを引くことが正しいと判断されやすくなります。
しかし、ここには大きな問題があります。
レバーを引かなければ、あなたは誰かを直接犠牲にする行為をしません。
一方、レバーを引けば、自分の判断によって1人が死亡することになります。
結果がよければ、誰かを犠牲にしてもよいのでしょうか。
歩道橋から人を突き落としてもよいのか?
トロッコ問題には、さらに難しい別の設定があります。
今度は、暴走するトロッコが5人に向かって走っています。
あなたは線路の上にある歩道橋に立っており、隣には大柄な人物がいます。
その人物を線路へ突き落とせば、トロッコを止めて5人を救うことができます。
ただし、突き落とされた人物は死亡します。
この場合も、犠牲になるのは1人で、助かるのは5人です。
しかし、多くの人は、レバーを引くことよりも、人を突き落とすことに強い抵抗を感じます。
なぜ、同じ「1人を犠牲にして5人を救う」という結果なのに、判断が変わるのでしょうか。
この違いは、倫理学における重要な論点です。
結果だけを重視するなら、どちらの行為も同じように評価されるかもしれません。
しかし、人を意図的に殺すことと、別の目的のために行動した結果として人が死亡することには、道徳的な違いがあると考える立場もあります。
トロッコ問題は、こうした倫理的な直感の違いを浮き彫りにします。
功利主義と義務論の違い|結果がよければ何をしてもよいのか?
功利主義と対比される代表的な倫理思想が「義務論」です。
義務論では、行為の結果だけでなく、その行為が道徳的な規則や義務に従っているかどうかを重視します。
代表的な哲学者が、ドイツのイマヌエル・カント(1724〜1804年)です。

カントは、人間を単なる手段として扱ってはならず、一人ひとりを目的として尊重するべきだと考えました。
例えば、無実の人を一人処罰することで、大勢の人々の暴動を防げるとします。
功利主義的な判断では、暴動による被害を防ぐという結果が重要になります。
一方、義務論では、無実の人を意図的に処罰すること自体が道徳的に許されないと考えられます。
ただし、功利主義が必ず無実の人の処罰を認めるわけではありません。
そのような行為が社会の信頼を破壊し、長期的に大きな不幸を生むのであれば、功利主義の立場からも否定されます。
両者の違いは、行為の正しさを最終的に何によって判断するかという点にあります。
功利主義の問題点とは?少数派の犠牲は許されるのか
功利主義は、社会全体の幸福を重視する一方、いくつかの難しい問題を抱えています。
少数派の権利が犠牲になる可能性
功利主義への代表的な批判が、少数派の権利を十分に守れないのではないかという問題です。
例えば、ある少数派を不当に扱うことで、大多数の人々が幸福を感じる社会を想像してみてください。
単純に幸福の総量だけを計算すれば、差別的な制度が正当化されてしまう可能性があります。
しかし、私たちは通常、どれほど多くの人が喜ぶとしても、無実の人を傷つけたり、基本的な権利を奪ったりすることは許されないと考えます。
この問題は、功利主義にとって大きな課題です。
幸福を数字で比較できるのか?
もう一つの問題は、幸福をどのように測定するのかという点です。
例えば、ある人が得る大きな喜びと、別の人が感じる深い悲しみを、同じ尺度で比較できるのでしょうか。
さらに、人によって何を幸福と感じるかも異なります。
ベンサムは快楽計算によって幸福を比較しようとしましたが、実際の社会で人々の幸福を正確に数値化することは簡単ではありません。
どこまで他人を助ける義務があるのか?
功利主義では、自分の行為によって他人の幸福を大きく増やせるのであれば、それを実行するべきだという結論が導かれる場合があります。
例えば、ぜいたく品を買うお金を寄付すれば、困窮している人の命を救えるかもしれません。
それなら、自分の楽しみを犠牲にしてでも寄付するべきなのでしょうか。
このような問題は、現代の哲学者ピーター・シンガーらによって議論されてきました。
功利主義を徹底すると、私たちの日常生活にも非常に大きな道徳的要求が生まれる可能性があります。
行為功利主義と規則功利主義の違い
功利主義には、いくつかの異なる立場があります。
代表的なのが「行為功利主義」と「規則功利主義」です。
行為功利主義は、個々の行為がもたらす結果に注目します。
例えば、ある場面で嘘をつくことで大きな幸福が生まれるなら、その嘘は正当化される可能性があります。
一方、規則功利主義は、社会全体の幸福を最大化するような規則に従うことを重視します。
例えば、嘘をつくことが一時的に利益を生むとしても、誰もが簡単に嘘をつく社会では、人々の信頼関係が崩れてしまいます。
そのため、「原則として嘘をつかない」という規則を守る方が、長期的には社会全体の幸福につながると考えられます。
規則功利主義は、功利主義が少数派の権利や道徳的な規則を軽視してしまうという批判に対応する考え方の一つです。
功利主義は現代社会でどのように使われているのか?
功利主義的な考え方は、現代社会のさまざまな場面にも見られます。
例えば、医療政策では、限られた予算をどの治療や予防策に使えば、より多くの健康上の利益を生み出せるかが検討されます。
公共政策では、ある制度によって社会全体にどのような利益や損失が生じるかを比較することがあります。
また、自動運転車が事故を避けられない状況で、どのような判断をするべきかという議論にも、トロッコ問題に似た倫理的な問いが登場します。
ただし、現実の政策決定では、幸福の総量だけでなく、公平性や人権、法律、個人の自由なども考慮されます。
功利主義は、そうした複雑な問題を考えるための重要な視点の一つです。
功利主義は本当に正しいのか?
功利主義の魅力は、道徳を個人の感情や伝統だけに頼らず、行為がもたらす結果から考えようとする点にあります。
誰かの幸福を増やし、苦痛を減らすことは、私たちが社会の制度や日常の行動を考えるうえでも重要な基準です。
しかし、幸福の総量を増やすことが、常に正しい行為につながるとは限りません。
5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか。
大多数の幸福のために、少数派の権利を制限してもよいのか。
そもそも、人間の幸福を一つの尺度で比較できるのか。
功利主義は、こうした問いに対して、結果を重視するという明確な判断基準を示します。
一方で、トロッコ問題が示すように、私たちの道徳的な判断には、幸福の計算だけでは割り切れない部分もあります。
「最大多数の最大幸福」という考え方は、何が正しい行為なのかを考えるための出発点であり、同時に、幸福と正義が衝突したときにどう判断するべきかという難しい問題を私たちに突きつけています。
(文:Indiebase編集部)
