記憶を失い、酒と薬に溺れ、ホテルの部屋で全裸で目覚める。自分が誰かも分からない最悪の状態だ。そんな状況から始まる『ディスコ・エリジウム』の主人公ハリー・デュボアの姿は、映画好きなら、ある男を思い出すはずです。
それが、『インヒアレント・ヴァイス』でホアキン・フェニックスが演じた、常にマリファナの煙の中にいる私立探偵ドック・スポルテッロです。

出典:Amazon Prime Video「インヒアレント・ヴァイス」より
1. 「ジャンクな脳」というフィルター越しの捜査
通常の探偵ものでは、主人公は鋭い洞察力で謎を解きます。しかし、この2作において、主人公の脳は「壊れたフィルター」です。 ドック(映画)はドラッグの霧の中で陰謀の尻尾を追い、ハリー(ゲーム)は脳内の24の人格(スキル)と議論しながら事件を追います。
彼らにとって、捜査とは客観的な事実を集めることではありません。「壊れた自分」というフィルターを通して、歪んだ世界をどう解釈するか。 その主観的で不確かなプロセスの描き方こそが、両者に共通する最大の魅力です。

出典:Steam「Disco Elysium – The Final Cut」より
2. 「時代の終わり」の残り香を嗅ぐ
『インヒアレント・ヴァイス』の舞台は、ヒッピー文化が終わり、資本と陰謀が街を覆い始めた70年代のLA。『ディスコ・エリジウム』の舞台マルティネーズは、共産主義革命が失敗し、過去の栄光が瓦礫の中に埋もれた架空の都市。
どちらの作品も、「かつてあった輝かしい何か(希望や理想)が、完全に死に絶えた後の世界」を描いています。漂うのは、強烈なノスタルジーと、取り返しのつかない虚無感。探偵たちは、事件を解決することでその「時代の死」と向き合わざるを得なくなります。

出典:Amazon Prime Video「インヒアレント・ヴァイス」より
3. ユーモアと絶望のダンス
この2作を「暗いだけの物語」にさせないのが、シュールでブラックなユーモアです。 支離滅裂な会話、おかしなファッション、そしてあまりにも情けない失敗。ハリーがネクタイと会話したり、ドックがメモ帳に「HIPPED(流行りだ)」とだけ書いたりするシーンには、「世界がこれほどまでに悲惨なら、もう笑うしかない」という、極限状態の人間だけが持つ、乾いた笑いが共通しています。

出典:Steam「Disco Elysium – The Final Cut」より
4. バックミラーに映る「失われた自分」
『ディスコ・エリジウム』をプレイすることは、一人の壊れた男の人生を再構築する作業であると同時に、政治や哲学、そして愛の失敗を追体験する旅でもあります。
もしあなたが、マルティネーズの街角で立ち止まり、聞こえてくる内なる声に耳を傾けてしまったなら。次はぜひ、『インヒアレント・ヴァイス』の煙に満ちた夜に浸ってみてください。そこであなたは、ハリーが失ったもの、そしてドックが追いかけたものの正体――「もうどこにも存在しない、美しい未来の残像」を見つけることになるでしょう。
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(文:Indiebase編集部)
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