ゲームが一般的な娯楽として、大人から子供まで楽しむようになった現代。その結果として、映像化される作品も増えてきた。自分の好きな作品が映画化したからと、ウキウキしながら映画館に足を運んだ経験のある人も多いことだろう。
しかし多くの場合、ゲームの映像化は成功しない。原作に超有名タイトルを持ってきたところで、手痛い評価を下されたり、興行収入が振るわなかったり(もしくはその両方)する作品が非常に多いのだ。
そんなゲームの映像化の中で、キラリと輝く作品がある。それが、2023年から放送を開始した『ラスト・オブ・アス』のドラマ版だ。
なぜ、『ラスト・オブ・アス』のドラマ版は成功を収めたのだろうか。今回は、ゲーム版『ラスト・オブ・アス』のストーリーに焦点を置き、ドラマが成功した理由を探っていきたいと思う。
『ラスト・オブ・アス』の作品概要
『ラスト・オブ・アス(The Last of Us)』は、2013年にリリースされたアクションアドベンチャーゲームである。謎の寄生菌により人間社会が崩壊した世界を舞台としており、いわゆる「ポストアポカリプスもの」や「ゾンビもの」に近い構造の作品となっている。
本作はそのストーリーや描写において非常に完成度が高く、多くのプレイヤーや批評家から高評価を受けている。またPS3向け作品としてリリースされて以来、PS4やPS5でも存分に楽しめるように、リマスターやフルリメイクがなされてきたことも特徴的だ。追加ストーリーやマルチプレイモード(PS3向けは終了済み)も収録されており、遊びごたえ抜群の作品と言えるだろう。

出典:Steam「The Last of Us™ Part I」より
本作を制作したのは、『クラッシュ・バンディクー』や『アンチャーテッド』で知られるノーティドッグ。制作陣のこだわりである「作りこまれた世界観」は、本作でも健在だ。
2020年には同スタジオから『The Last of Us Part II』がリリースされた。こちらは衝撃的なストーリー展開から賛否が分かれるものの、遊んで損はない作品となっている(筆者プレイ済み)。

出典:Steam「The Last of Us™ Part I」より
あらすじ
主人公のジョエルは、アメリカのテキサス州で娘のサラと幸せに暮らしていた。
ある日、謎の寄生菌によるパンデミックが発生。狂暴化した感染者により、町中は大パニックとなった。ジョエルはサラ、そして、弟のトミーと共に町を脱出しようと試みたが、騒動の最中でサラが兵士に撃たれて死亡してしまう。
パンデミックから20年たった後も、人類は寄生菌に対する有効な手立てを見つけられず、文明は崩壊していた。残った人類は軍の支配を受けながら隔離地域に身を寄せ、ほそぼそと暮らしている。ジョエルもまた、そんな隔離地域で暮らしながら、相棒のテスと共に運び屋稼業で生計を立てていた。
そんなジョエルに、反乱軍の「ファイアフライ」から、運び屋の仕事が舞い込む。荷物は14歳の少女・エリーで、寄生菌への抗体を持っているという。
ジョエルはテスと共に、エリーをファイアフライのアジトに運ぶため、感染者が跋扈し無法地帯となったアメリカを旅することになった。

出典:Steam「The Last of Us™ Part I」より
ドラマ版『ラスト・オブ・アス』
ドラマ版『ラスト・オブ・アス』は、アメリカのテレビ局HBOによりドラマ化され、2023年から放送されている。多少描写などに違いはあるものの、基本的なストーリーは原作に準じている(吹き替え版の声優も原作通り)。
ゲームを原作とする映画やドラマの中でも群を抜いて評価が高く、原作ファンからの支持も厚い。2023年のプライムタイム・エミー賞で複数部門を制していることからも、その完成度の高さがうかがえるだろう。
本作はテレビで放送されておらず、U-NEXTなどのサブスクを利用する必要がある。少し敷居は高いかもしれないが、興味がある人はぜひ鑑賞してみてほしい。

出典:U-NEXT『THE LAST OF US』(ラストオブアス)
『ラスト・オブ・アス』で描かれる3つのテーマ
本作『ラスト・オブ・アス』には、重要なテーマが3つある。それらは全て普遍的なものであり、ゲームとドラマ双方に共通するものだ。
この項では、本作のテーマである「喪失」・「選択」・「関係」について考えていきたい。
喪失
まずは「喪失」から。
本作に登場する人々は、皆多かれ少なかれ何かを失っている。故郷、愛する家族、大切な持ち物。寄生菌によるパンデミックの悲劇に、等しく襲われている。もちろん、ジョエルとエリーもまた、そんな一人である。
ジョエルについて考えてみよう。ジョエルは人間社会が崩壊するきっかけとなった騒動の最中に、愛娘・サラを亡くしている。文明崩壊後は荒っぽい生活をしてきたジョエルだがサラに対する愛情は消えず、生前の彼女にもらった腕時計を大切にしている。
ジョエルはサラの死による喪失感を、二度と感じたくないと考えている。その結果が、「失ったものは戻らない」という考え方である。これ自体は至極当たり前の感情だが、ジョエルの場合はあまりにも抑制しすぎていた。喪失感や失うことの恐怖感が大きすぎて、過去を思い出すことすら(もしくはそれを引き起こすような行為)避けようとしてしまうのだ。
では、エリーはどうか。
エリーはパンデミック後に生まれており、人々が豊かに暮らしていた時代を知らない。それ自体が喪失ともいえるが、何よりもエリーには家族がいない。そして、親友であり、おそらく恋愛的な好意を抱いていたであろうライリーを失っている(作中では明確に描かれていない)。その喪失感は、彼女の「あたしの大事な人は、あたしを置いていったか、死んだ……」というセリフからも明らかだ。
エリーもジョエルと同じく喪失感を抱えているが、向き合い方は異なっている。エリーは、様々な感情を抱いてもなお、過去を受け入れている。その上で、ジョエルを「大事な人」として認識することをためらわなかった。
喪失に対する向き合い方の違い。それは、物語をより深く多層的なものにしていく。後に書く2つのテーマに関わるものでもあるため、しっかり押さえておきたいポイントだ。

出典:Steam「The Last of Us™ Part I」より
関係
ここで書く「関係」とは、人と人の関係性のことだ。そして本作は、ジョエルとエリーという2人の関係性の変化を軸に描かれた物語だ。
エリーとジョエルの関係は、当初は「荷物」と「運び屋」でしかなかった。ジョエルはエリーを守りこそすれ、それ以上の感情はなかった。エリーもまた、彼に対する反発心を隠そうとはしない。しかし、旅を続けるうちに信頼感が芽生え、それに応じて家族愛のようなものが生まれていくことになる。
また、ジョエルやエリー以外の人々の関係性もまた、本作の重要なテーマとなっている。ジョエルとテスの関係、マーリーンとエリーの関係、ビルとフランクの関係……。こうした部分がしっかりと描かれている。本作が、エリーとジョエルだの関係だけに終始していたなら、ここまで名作とされることはなかったのではないだろうか。
ちなみに、ドラマ版では周囲の人々に焦点が当たるシーンが多い。この点が、原作とドラマの大きな違いと言えるだろう。
ジョエルがもし、エリーを最後まで「荷物」として考えていたら……?その方が、人類的にはハッピーだったかもしれない。

出典:U-NEXT『THE LAST OF US』(ラストオブアス)
選択
人生は選択の連続だという。そしてそれは、ゲームの中でも変わらない。本作は物語の進行に関わる選択肢こそないが、ジョエルの選択を、そしてエリーの選択を、我がことのように体験していくことになる。
ネタばれになってしまうので詳細は控えるが、ジョエルの選択はエリーとの関係によって決定されたものだ。彼がもしエリーを大切に思っていなかったら、サラと彼女を結び付けていなかったら、物語は全く違う展開へと進むことになっただろう。
エリーの選択は、次作へとつながる布石とも考えられる。物語の最後、ジョエルの嘘をそれと気づきながらも受け入れたのが、彼女の選択の最たるものだ。第二作のジョエルとエリーの関係性は、嘘を付き、それを受け入れたが故の結果だろう。
また、本作を考える上で、マーリーンの選択は非常に興味深い。
マーリーンは便宜上本作のラスボスに当たるが、感染者ではなく、政府を蘇らせ、寄生菌による被害を食い止めようとファイアフライを率いている、場合によってはヒーローになったかもしれない存在である。そんな彼女が下した選択は、ジョエル(およびプレイヤー)にとっては残酷なものだった。そして、その選択に至るまでの苦悩が、道中拾える資料からありありと読み取ることができる。
自分だったらどうするか。本作はそうした問いを常に突きつけられ続ける作品と言えるだろう。

出典:Steam「The Last of Us™ Part I」より
映像化が成功した背景にあるもの
失敗が多いと言われる、ゲームの映像化。そんな中、本作が成功した要因はどこにあるのだろうか。最後に、それを探っていきたい。
先にも述べた通り、本作では「喪失」・「関係」・「選択」という3つのテーマが描かれている。これらのテーマは、どれだけ時代が進んでも、あるいは逆にさかのぼっても変わらない普遍的なものだ。人間はいつでも喪失に苦しみ、関係に悩み、あるいは希望を見出し、あらゆる場面で選択し続けている。だからこそ、こうした事柄と向かい合うストーリーは受け入れやすい。主人公に自分を投影して得られる共感が、遊び続けたり、見続けたりするガソリンになるからだ。
筆者には子供がいる。そして、性別は違えどサラを亡くしたときのジョエルの年齢に近い。筆者は本作をプレイしたとき、完全にジョエルに自己投影しながら遊んでいた。だからこそ、彼の選択に納得したし、かつて子供であった存在として、エリーの選択も理解できる。こうした「納得ずく」のプレイ体験や視聴体験は、普遍的なテーマであるからこそ容易になる。
また、本作のジャンルそのものが、人気ゲームやドラマ、映画などで頻繁に扱われる普遍的なものだったのも良かったのだろう。
本作は、ゲームもドラマも「ポストアポカリプスもの」にあたる。文明が崩壊した世界でのサバイバルが描かれたもので、映画やドラマでは『ウォーキング・デッド』や『アイ・アム・レジェンド』、ゲームでは『Fallout』や『Days Gone』などが代表格だ。
人間は、どうしたって文明崩壊後の世界が気になるらしい。アクションに全振りしたもの、敵(多くの場合ゾンビ)の恐ろしさを描いたもの、また、困難を乗り超えた先のカタルシスに注力したものなど、手を変え品を変え、あらゆる作品が生み出された。しかし、敵よりもサバイバルよりも、すべてのミッションを終わらせた達成感よりも、「喪失」・「関係」・「選択」という3つの普遍的なテーマに重きを置いたものは珍しいのではないだろうか。
ドラマはゲームと違い、目の前で繰り広げられるストーリーを受動的に、「操作」という手間をかけることなく楽しめる。難しい操作が必要なければ、ゲーマーでなくともストーリーに没頭しやすくなるだろう。
普遍的なストーリーで興味を引き、普遍的なテーマで共感を呼ぶ。本作の映像化が成功した背景には、「普遍的なテーマを主軸にしたこと」と「普遍的なジャンルを採用したこと」という2つの「普遍的さ」があるのだろう。
そして本作の映像化が成功したことにより、映画やドラマ、小説から一段低く見られがちなゲームのストーリーにも、他の媒体に負けないほどの普遍性があり、ストーリーを売りにできることを証明してくれたのだと考えられるのではないだろうか。

出典:U-NEXT『THE LAST OF US』(ラストオブアス)
まとめ
ゲームを原作とした映像作品を成功させるのは難しい。どれだけ原作が面白かったとしても、表現方法の違いややむを得ない描写の変化、キャラクター設定などで違いが生まれてしまう。ゲームが「プレイするもの」であることに対し、映像作品は「鑑賞するもの」であることの違いも大きいだろう。
そうした印象を塗り替えたものこそが本作だ。普遍的なテーマとジャンルを扱い、名作と呼ばれるに至った原作の世界観を、見事にドラマ化している。
もちろん、ゲームと映画には細かな違いもある。しかし、もともとのイメージを崩さず、原作では描かれていないところまで描き切った力量素晴らしい。だからこそ、原作ファンも本作を受け入れることができた。
普遍的なジャンルの作品は、うっかりすると陳腐なものになりかねない。しかし、それをさせなかった原作のテーマ設定、さらに、ドラマの描き方は見事なものだと言えるだろう。
(文:オオノギガリ)
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